ここ数年間、介護や医療のことを考えるとたくさんの事柄が地域包括ケアというキーワードに結び付きます。看取りもそうなのですがタイトルからはなるべく地域包括ケア(システム)という言葉は使わないことにしました。そうでないと全部地域包括ケアになってしまいます。
看取りは大変に長い話になりますが、今回は私の話です。皆さんはどこで看取られたいでしょうか?私は自宅です。住み慣れた野芥の町、町内会、隣組。私が「子供たちが育つ故郷」を作るために建てた家。家族の思い出が詰まった家。そこで家内筆頭に子や孫・ひ孫たちに囲まれて穏やかに息を引き取ることができればどんなに幸せなことでしょう!!そう思うのですが、実はなかなかむつかしそうです。これからどんどん改善されそうではあるのですが・・・
唐突ですが御嶽山の噴火の際、複数のご遺体があると思われたのに「死亡」ではなく「心肺停止状態」と報道されていたと思います。一つは一刻でも早く救出するために自衛隊が出動するためには「生きているかもしれない。」という位置づけが必要だったと思われます。
もう一つ大事なことは死亡確認です。日本の法律では原則「死亡診断」や「死亡診断書の作成」は医師にしかできません。
回り道が長くなりました。家で看取られるためには医師に自宅まで来てもらわなければなりません。医師が到着するまで死んだことにならないですし、火葬もできません。私の場合、今のところ来てくれそうな医師は・・・勤務先以外では無理だと思います。
家族に囲まれるのもなかなか大変そうです。病院であれば24時間医師・看護師がいてそろそろというときに「ご家族を呼んでください。」とか言って電話してくれそうです。空振りで「やっぱり亡くなりません。解散してください。」ということもあるでしょうが、死亡してからの連絡は少ないと思います。自宅では「そろそろ今呼んだ方が」という判断はむつかしそうです。そもそも死ぬ瞬間に周囲に家族がいるのか独りなのかがわかっているのかどうかも怪しいものです。
「家内が私より元気で長生きする」という計画通りであれば私が冷たくなったとき、朝には家内が見つけてくれそうです。ただそうなると「家族に囲まれて」は断念です。1週間とか1か月後に発見されることはなさそうですが、これも家内が元気でいてくれた場合の話で、独り暮らしであればそうなりそうです。孤立死・孤独死の問題ですね。
かくして、私の「家族に囲まれて息を引き取る計画」は成功の確率がどんどん低くなっていきます。家内が先に旅立つか、入院か入所していれば、私も病院か施設を選ぶことになるような気もしてきました。自宅での介護も心配です。私の介護で家族が苦しむようであればその姿は見たくはありません。心細くなってしまいました。制度がどうこう言う前に私の死生観をもう一度考え直してみます。なるほど「本人の選択と本人・家族の心構え」が必要な理由がわかりました。
自宅での看取りに関しての課題は次々に解決されていくように思います。これからたくさんの先輩が自宅で看取られ、制度や病院・介護保険の事業所も変わっていくと思われるからです。
私のもう一つの理想は飛行機の空中爆発事故での死亡です。日本の航空会社に限ります。ぴんぴんころりで遺族にもたくさん補償金が入りそうだからです。