感謝

先日、公益社団法人 福岡県作業療法協会(以下協会)より協会表彰をいただきました。作業療法協会の皆さん、職場の皆さん、地域の皆さん、友人たち、家族・・・。本当にたくさんの人からのご支援ご指導、叱咤激励・・・様々な力をいただいて受賞できたものと深く感謝いたします。

表彰規定(抜粋)

協会表彰の表彰規定は、通算25 年以上、正会員として作業療法業務に携わり、本会の発展に顕著な功績を示し、協会活動経験を合わせて20 年以上有する者を表彰する、とされています。

僭越ですが、私の歩みを振り返って

看護師時代

私は高校卒業後、医療技術短期大学の看護学科を卒業して看護師として約11年勤務しました。品行方正とは程遠い学生でそれこそ何とか卒業、やっとの国家試験合格でした。それでも就職してからは精神科の看護師を天職と考えており一生懸命働いたつもりでした。最初の上司のコメントが“言い得て妙“です。「大変期待しているけれども、あてにはしづらい」と。あちゃ~です。遊びたい盛りでした。辛抱強く、役割を多くいただきました。

リハビリテーション養成校時代

2度目の学生生活でしたし子供もいましたので「今度こそ」という思いでしっかり勉強しました。このころ今の法人に夜勤専門の看護師として就職しそれからずっとお世話になっています。片道2時間、地下鉄や西鉄を乗り継いでの通学、この時間が勉強時間のほぼ全てでした。一生懸命勉強しました。西鉄電車の中で課題の編み物をしていたのを懐かしく思います。

油山病院(精神科)での作業療法士時代

上司は陰になり日向になり公私共にご指導いただきました。このころ協会より声がかかりある勉強会の講師の役をいただき、その流れで運営委員に誘われました。看護師時代お山の大将だった私が初めて世間を見るきっかけとなりました。自分自身の横着さに気が付くきっかけです。このことがなければそのあとの私の人生はなかったと思います。

介護老人保健施設からざステーションで作業療法士

油山病院併設の介護老人保健施設からざステーションに異動になり、言われたことは何でもやりました。作業療法士と居宅のケアマネージャーとデイケア責任者の3足の草鞋の時もありました。自信につながりました。すぐにまた横着になりました。並行して協会の仕事なども増えていきました。作業療法士協会では運営副委員長、運営委員長、広報担当理事、福岡シーティング研究会の立ち上げ、日本シーティング・コンサルタント協会の理事、監事と続きます。現在は協会の保健福祉部 認知症作業療法 推進委員会に所属しています。シーティング・コンサルタント協会は日本と冠するだけあって全国の素晴らしい人材が理事をされていました。ここでは論文にも取り組むこともできました。ここでの出会いは、自分自身がまだまだひよこだと自制することに繋がりました。やはり根っこはしっかりとお山の大将で横着なのです。
我慢という言葉の基は我が慢じる。横着になることだそうです。私は本来が横着なのに多くの出会いが「お前はまだまだ・・・」と教えてくださいました。

作業療法士から事務長へ~

老健では作業療法士から事務長に昇格しました。事務長になったとき上司から「あなたはもう作業療法士ではないのですよ。」と言われました。ある夜夢でうなされて「私は作業療法士です」と叫んで目が覚めました。「作業活動」を通して物を見て物を考える。私は今でも作業療法士だと思っています。
平成12年4月の介護保険開始に先立って平成11年10月から要介護認定が始まりました。この時からずっと認定審査員のお仕事を協会推薦で福岡市から任命されております。これも出会いでした。そういうきっかけもあって「福岡市地域包括ケア推進会議 認知症専門部会委員」、「福岡市認知症にやさしいデザインガイドライン策定委員会」を務めさせていただきました。福岡市の人材関係のワーキング・グループにも参加させていただきました。この間「公益社団法人全国老人保健施設協会表彰」も受賞させていただきました。出会いの連続でした。

今、振り返って思うこと

私はいろんな人と出会うことができました。そのおかげで「やってやっている」ではなくて「やらせていただいている」ということが少しだけ増えました。根は変わらずに横着なのです。少しの変化で今は大変幸せに業務につかせていただいていますし、その分暮らし向きでも幸せを感じることが増えました。根は変わらないので「感謝を忘れて横着になればすぐに元に戻る」と言い聞かせています。この文章を読んでいただいてありがとうございました。感謝申し上げます。