「ガイアの夜明け」を見て
建国記念日の2月11日、何気なくTVのリモコンを触っていた私は、この番組に目が留まりました。それはテレビ東京のドキュメンタリー番組「ガイアの夜明け」。この日のタイトルは、「認知症の人たちも『働く』」ことで“共生できる社会”をつくる!認知症の人にも”やさしい街”を、認知症は予防できる!」。今まさに私の最大の関心ごとです。
実は、先月末に私が所属する(公社)福岡県作業療法協会は福岡市で認知症を担当している課長さんと、日本を代表する認知症を専門とする作業療法士さんのお二人をお招きして研修を開きました。その内容が「認知症高齢者が働く」「認知症高齢者にはできることがたくさんある」というものでした。同様のテーマが、その後の「ガイアの夜明け」で報道され、まさに示し合わせたようなタイミングに驚いたというわけです。
役に立たない方?
「認知症高齢者」と「就労(働く)」とは結びつかいないと考える方が多くいらっしゃると思います。おそらく、認知症に対して持つイメージが人によって大きく異なるからでしょう。
少し言い換えましょう。認知症という診断された方は全く何もできない方たちでしょうか? 会社に在籍していて、なにかしら違和感をもった方が受診して「認知症です」と診断されたら、途端に何もできなくなるでしょうか? たぶん、この方は次の日もお仕事されると思います。
これがすでにお仕事をリタイヤされた高齢者の方ですと、「認知症だから無理しなくてよいよ」「認知症なんだから座っていてよいよ」「デイサービスに来られたのですから、すべて私たちスタッフがやりますよ」という優しさと引き換えに、できることをどんどん奪われていくことがよくあると思います。
役に立たせてもらえない方?
ずいぶん以前に看護師・作業療法士(両資格保有)として精神科病院に勤務していた私は、当時多くの統合失調症の方と接するなかでよく憤りを感じていました。それは、「統合失調症の方たちは何もできない、役に立たない方たちではない。役に立たせてもらえない方たちだ!」という憤りです。認知症の方たちの処遇にも同じように感じることがあります。できることはたくさんあるのに次々と奪われているのではないか、と。
みなさん、ご自身のこととして、以下のことを想像してみてください。明日から突然「全てしてあげるから何もしなくてよいです」と言われたら・・・。何を食べるのか、何を着るのか、全部決めてくれます。朝起きると着替えさせてくれます。トイレに連れて行ってくれて、すべて介助してくれます。歯を磨き、食事を口に入れてくれます。お風呂に行けば、身体も頭も洗ってくれます。お世話をしてくれる人に、いつも「すみません」とか「ありがとうございます」と言うだけの暮らし。
他人様の手を煩わせているのですから、感謝するしかありません。人様のお役に何も立てていないのですから、感謝されることもありません。こんな自分が自尊心を持てるのでしょうか。
できることはたくさんある?
ちょっと極端だったかもしれません。多かれ少なかれできることを任せてもらえない。自分でやりたいことをやらせてもらえない。人は誰しもそういう不満はあるかもしれません。そうはいっても、認知症高齢者の方たちは随分と不適切な制限を受けているように思えてならないのです。そう、できることはもっともっとたくさんあるはずです。
超短時間の雇用モデル?
現在、超短時間雇用について東大の准教授が中心になって産官学での取り組みが始まり、全国に広がりを見せていると聞きました。認知症高齢者というくくりではありません。障がい者雇用のようです。身体的な障がい・精神障がい・知的障がいの方々、そして高齢者も当然お一人お一人の個性があります。そこをうまく組み合わせて、次々と雇用を生んでいるそうです。先述の「ガイアの夜明け」でも認知症高齢者の雇用を実現させていました。マッチングさえうまくいけば、認知症高齢者も様々な障がいの方々も社会の役に立って感謝される存在になります。もともとできることがたくさんある方たちに、社会が気づかなかっただけです。
どうしたらよいのか?
そうはいっても、そんな難しそうなこと、どうやってするの? とお思いですよね。なんでもそうですが、「いきなりすべて解決する」のは難しいです。通常はあきらめるしかありません。しかし、ここは「安・近・短」の発想でいきましょう。「すぐにできそうな、簡単ことから、すぐに始める」です。
まずは、私たちの意識改革です。私たち自身が、認知症高齢者や障がい者の方だから特別な気遣いをしてということではなく、身近なご家族や同僚に「おはようございます」と言ってみてはいかがでしょうか? もちろん既に実行されている方も多いと思います。そうであれば「ありがとう」とはっきりと声に出して言ってみてはいかがでしょうか? それが他者への尊厳の始まりだと思います。
人様がせっかくしてくれたことでも「余計なお世話」と思う事があるかもしれません。程度にもよると思いますが、そこを「せっかく人様がしてくれたこと」と捉えて、感謝の意を表せば、良い関係に発展しそうです。
例えば私の職場である介護現場では、重度認知症の方の食事介助の時に、「どれからお食べになりますか?」「お味はどうですか?」といった声かけや、「喜んで頂けて私もうれしいです」といった感謝の言葉を添えてみることを心がけています。そうすることで、何もできないように見えた重度認知症の方が「どれから食べたいと」か、「おいしいと」かご自分で伝えられることがあるかもしれません。重度認知症の方が感謝される方と認められることを期待いたします。
さあ、いきなり「雇用」という段階を考える前に、その大前提となる「他者への尊厳」から始めてみましょう。