最後まで住み慣れた自宅で
前回のブログに初めてご意見をいただきました。高校の同級生Aさん(介護職)でした。
「最後まで住み慣れた家で過ごせればいいですよね。」、「介護する側としては、どうなのでしょうか?」、「老々介護の共倒れは地域包括ケアシステムで、減っていけますか?」と、かなり切実・深刻な内容です。 このシステムが考えられた一つの要因は「多死社会」です。高齢者が増えるということは看取られる方が増えることでもあります。これからの高齢者はどこで看取られたいのでしょうか?
1950年ごろ9割近くの方が自宅で看取られていました。病院や診療所で看取られる方は1割程度しかいらっしゃらなかったのです。それが2000年ごろには完全に逆転してしまいます。病院で看取られるのが当たり前になっていったのです。
国は困りました。これから看取られる方が増えると病院が足りなくなってしまいます。一方、市民の中には「病院で看取られるのは嫌だ。」、「管をたくさん入れられるのは嫌だ。穏やかな最期を、できれば自宅で迎えたい。」という方も増えてきました。お互いの思惑はうまく噛み合うでしょうか?
ご本人の希望だけで看取られる場所を決められるわけではありません。ご家族はご本人の希望に沿った介護ができるでしょうか?その負担は大変なものでしょう。もしかしたら病院に搬送して手厚い治療を受けたならばまた元気になるかもしれない。という思いもあるでしょう。まして国や病院が決められることでもないのです。Aさんは介護という仕事を通じてこの問題の中心を射抜いているように見えます。
地域包括ケアシステムでは有名な植木鉢の絵があります。植木鉢は受皿に乗り、土があり、そこに芽が出ています。基礎にあるのは受け皿です。ここには「本人の選択と本人・家族の心構え」とあります。どこで暮らし、どこで看取られるのか?まず「ご本人の選択」ですが、ご本人が決めたら、その通りになるわけでもありません。ご本人とご家族でよく話し合ってどうしたいのかという「心構え」がなくては前には進んでいけません。 答えは出ませんが、今よりはほんの少しだけでも「自由に」、「気楽に、」、選択できるようなお手伝いをしたいと考えております。