介護サービス事業所の評価
いわゆる良い施設、好ましくない施設、あれが得意な施設、これは苦手な施設。そういうことはあるのでしょう。横道にそれますが、国は最初、介護施設の評価を職員が何人いるだとか、広さがどの程度かという事などで判断していました。次にどんなプロセスで介護しているのか、例えば最低限の計画より更に高度な計画を立てているか、などで判断をしていました。これが今度はどんな結果を出すか、で評価しようとしています。施設評価は施設の収入に直接つながる話です。
介護サービス事業所の取り組み
認知機能面の問題がなく、身体機能の強化に取り組むのが得意な施設ではいわゆる身体の訓練に力を入れています。どう生きていくのか、はお手伝いしなくても、高齢者自身がご家族とともに判断しておられるからです。
一方で認知機能面に課題を抱えている方を対象にしている事業所では、前回(認知症高齢者の就労を考える その2)のように尊厳を守る取り組みを行っています。残念ながら、すべての人に常に素晴らしいお手伝いは提供できていないかもしれません。けれども良いと言われる施設であれば、いつももっとよいサービスを考えているものです。高齢者だけではなくご家族の人生にも関わりがありますので当然だと思います。
介護サービス事業所の限界
前回少し触れましたが、私たちは介護サービスを提供して、介護報酬をいただいています。ここにはお世話をする側と、される側という関係が生じてしまいます。支援する側と、される側ですね。この縛りの中でその方らしく輝けるよう考えているわけですが、そこにはやはり限界があります。例えば、お掃除が大好きな方にお掃除をお願いして大変奇麗になって、私たちは感謝してその方はお喜びになって。大変良い事のようですが、見方を変えると私たち施設側はお金をいただいてお掃除していただいているという事にもなります。そういったことへの注意も必要です。
働くという事
働くという事になれば状況は全く違います。人によって価値観や考え方に差はあるのでしょう。「労働力の対価として賃金を受け取っている」「働かせていただいている」「働いてやっている」。普段意識しないと思いますが、「賃金をもらうだけの価値を提供している」「価値のあることをしているから賃金をもらえている」、つまり「人の役に立っている」という事は厳然としてあるように思います。
介護の事業者では、この「働く」という尊いものの提供はなかなかむつかしい。限界のあることですね。別の仕組みが必要だと思います。
高齢者の特徴
年齢を重ねると、だんだん目が見えにくくなります。耳もそうです。味もそうです。喪失の世代ともいわれます。だんだん体力や気力が衰えていきます。
子育てからは解放されるのですが、「私がいないとこの子はどうなる」という状況もなくなります。退職すれば、仕事もなくなり、そして社会的使命も減っていきます。認知症高齢者に限った話ではないのです。
就労機会
漫画サザエさんの時代、磯野波平さんの定年は55歳、波平さんは54歳で定年間際ですね。高年齢者等の雇用の安定等に関する法律というのがあります。ついこの前までは65歳までの雇用を確保するようにという事でした。これが努力義務ですが70歳まで引きあがられています。70代で介護施設に入所と言いうのはかなり若いです。公民館館長の定年が75歳。地域でバリバリに活躍しているシニアの方は大勢いらっしゃいます。法律で、雇用が確保されているのは70歳まででしかも努力義務です。
労働人口はどんどん減っているのですし、働くことが一番有用な介護予防という話もあります。認知症を含む高齢者や障がい者の雇用は、弱者救済ではなく社会の求めにもなっています。
これから
このタイトル、夏目漱石とは無関係です(笑)。
前回の超短時間雇用や福岡市のオレンジパートナーズのような仕組み作りが大変重要だと思います。認知症高齢者が超短時間でも雇用される仕組みは不十分です。無償ボランティアや家庭内・施設内からでも役割を果たせる仕組みづくりは重要です。
一方で、当事者や社会の意識も重要だと思います。若くて脊髄損傷となったけれども車いすで世界を旅している、という方のお話を聞いたことがあります。交通事故で下半身が動かなくなり「自分では何もできない。してもらうのが当たり前」と考えていたそうです。同室の先輩(師匠と呼んでおられました)から「自分のことは自分でしろ」と言われて「この人はきっと頭がおかしい。出来るはずはない」と思ったそうです。それがいろんなことがきっかけで自分のできることは自分でやろうと決めて、世界中お一人で旅するようになったわけです。
私は就労を無理に勧めているわけではありません。けれども出来ることを奪うのは酷なことだとも思っています。
私事ですが
突然思い出しました。私は25歳の時に転職時の諸事情で1か月だけ何もせずに家にいたことがあります。好きな時に好きなだけ、「吞んで、食べて、寝て、起きて」、最初は楽しかったのです。たった1か月だったのにだんだん病んでいくようでした。起きた時には誰もいません。おはようという人がいません。ありがとうと言われることもありません。本当に辛い思いをしました。たまに忙しいと心を亡くして愚痴を言いますが、とんでもないですね。お仕事があることに感謝ですね。